名作と駄作について

 かなり前、通っていた大学の図書館で、とても面白い本を読んだのにtitleや作家名も覚えていない。

 その後に別けんが待ち受けていたこともあったけど、後日確かめることもなぜかしなかった。だが、そのことを司書の変わりを引き受けてらした先生がよくご存知だ・・しかし他学科だった、でも、本の整理でなにがどこにあるのかとても詳しかった・・。

 

 前にも何度か以前のblog やhpにも記載したことあるが、

父とともに見た祝日に入ったNHkのTV放送で、丸っこいロボットと四角いロボットが闘う映画を見たが、監督やtitleがわからない・・。

 父はほれ、丸っこいのは可愛いーと、ある意味、落ち込んでいた私を励ました・・。

(別けんで落ち込んでいた,中学の頃)でも、どちらも今だにわからないままだった、先生SNSで御健在のことがわかり、よかったが帰省ままならず、聞けないままに。

 映画のことは前にも書いたことが・・。

 

 よくわからないままだけど、2つは私が見た、読んだ中で名作に入る。

当時、助教授だった先生には、まだ聞けないが、かなり分厚い本で、棚のかなりしたの方にあり、私や先生の選考のものでなく、西洋の読み物だった気がする。

 先生には彼の方の別の役目があったようだけど、私はこのかたに他学科でもっともお世話になった。

 もしかしたら読まれていたかもしれない、・・ふと名作とはと思うとき、この2つが必ず思い出す中にあるのだった・・。

 

 大事な思い出も、父やお世話になった方とともに。

もちろん他にもある、有名なものも、そうでないものも。

人に知られないままのものも・・。

駄作については、自分の言ったことや書いたことが使われたようだけど、うんざりしたり、話が現実のままだったり、それは日記で作品にはならない。

私のことをあてがった場合、私には駄作でしかない。

 

 人は作品から、夢や励ましをもらう、現実を書くだけではだめだとは、古来から言われてきたことで、それを当て嵌めてよしとするアーチストや作家、などがいることには本当に驚きを隠せない。

 そんなことなら多くの人に可能だ、人気があってもなにも私たちには響かない。

人気と、創造性はまっったく比例しない。

 

 私は、作品とともに、そんな思い出を残してくれた、父と先生に、深い感謝もしている・・。

 タイトルもわからないままの2つの作品だけど、見たことや読んだことは記憶にある。

何度か調べようとしたが、知る人しか知らないもののようだ・・。

hitは個人的に好きな人はいるはずだろう。

 

 いい作品と名作は違う。

hitと名作も違う。

駄作の数々が、名作や自分にあうものもわからせてくれた。

時には駄作で知る何かもあるが、あまりにいつもでは、幻滅も。

それに学生時代からそうしてきたので、大体の見分けはつく・・。

所有してるから名作、と言うこともない・・。

 

 人気だけで、また、流行りだけで名作と思うことは、私には、ない・・。