大概の人には個人的に、家族や友人知人親族などに希望と夢を託してくれる人がいる。
養育に関わってくれた皆さんのおもい、特に親しかった方々のおもいと言うものは、伝わらないわけじゃない。
しかし時間がたち色々あるうちに、一時期うすれたり一時期悩みとまどったり、一時期何かが渦巻くことも。
でも基本、大人になればなるほど、何がどうだったのか客観視できることも。
答えきれないことも時期もありはしたが、応えたくなかった訳でもない。
私なりに、そうしようと努めたが不可能に近いと思った時期やただの安寧を望んだ時期も。
しかしながら、意外な方向から風が吹いたりして、本人の望まない方向に向かっていかせようとするなにかにたいし、どうするのかと思わざるを得ないことも。
前にも書いたかも知れないがそんな時、結局は希望や夢を私に託していこうとした人たちの思いこそが、結局、私を助けているように思う。
その人たちにも希望や夢がある、それがいまは良くわかる。
いや、あの頃からわかっていた。ずっとわかっているんだ。
誰にでもそんな誰かがいる。
それが正しいあり方だ。
しかしながらまだわからない人もいるかもしれないが、いつかわかる時があるでしょう。
こんなことは改めて書くつもりは無かった、
そして昨日書こうと思ったこととはまた別件になってしまったが、それは今必要がない、いつかの時が来るまで、とっておこう。
はっきりと認識しないぐらいに忘れてしまうかも知れないが、燻ってはいるだろう。